日本のサッカー少年たちよ、大志を抱け!
【海外通信員】2008年10月08日
“これをやりたい”という、抑え難いほどの強い信念を持っている人間は、その分野ですでに70%成功している。これが私の持論だ。
目的地さえはっきり見えていれば、そこに辿りつくための方法を具体的に模索し、貪欲に、かつ一歩一歩確実にステップアップできる。その信念がホンモノであれば、自然と周囲から助けの手が伸びてくる。自分に言い訳をしない。他人のせいにしない。
こんな生き方を実践している日本人サッカー選手が、地球の裏側のパリ郊外で夢を追っているのをご存知だろうか。まだ、フランスプロリーグの華やかな舞台ではないが、「サッカーをしてお金をもらい、それで生活できる毎日がすごく幸せ」と笑顔をほころばせるMF大塚省三(おおつか しょうぞう=22)選手は今、ヴァンセンヌの森近くで1人暮らしをしながら、5年目のチャレンジに挑んでいる。今夏には、パリ市内の4部(CFA)のクラブ、ヴィルモンブル・スポールと契約し、毎週土曜のリーグ戦をこなすため連日の練習に励んでいる。
神戸弘陵高校のサッカー部に所属していた大塚選手は、高校時代を振り返り、「あまりいい結果を残せなかった」と、当時の失望を赤裸々に語ってくれた。 「自信もなくして、高校を終えたらサッカーをやめようと思っていた」
しかし、「自分に足りない所がすごく多かった」と自覚していたゆえの失望であり、だからこそ、それをバネにしようと頭を切り替えた。「ひとつ自分で明確にわかっていたことは、まだまだ成長できること。成長したときの自分を考えると、いい選手になれると信じることができた」
その信念を周囲に打ち明けるのに、かなりの時間を要したそうだが、「打ち明けた時、みんな応援してくれてすごく嬉しかったのを覚えている。親もよく理解してくれた」中でも、恩師であり、中学時代の監督でもあった森野監督が背中を押してくれた。「プロになれるから続けるべきだと、僕を信じてくれた」
高校卒業後、04年に名門パリ・サンジェルマン(PSG)のU-18に入団し、欧州サッカーの本場フランスではじめての育成を経験。そこで、日仏のサッカー育成の決定的な違いに衝撃を受けた。「はじめにすごく苦労したのが、僕が今まで学んできたサッカーと、こっちの選手が学んできたサッカーに内容的な違いはないのに、僕が頭でわかっていることが、こっちの選手は“体に染みついている”ということだった」確かにフランスの育成は、動きの“オートマチズム(自動化)”を徹底している。これに加え、ゴール前の“創造性”を伸ばすという、自主性に重きを置いたサッカー教育は、日本ではまだ稀だ。
大塚選手はPSGで1年間の育成を経験したのち、CFメッツのリザーブ4部(CFA)、3部のパリFCにそれぞれ研修生として所属し、06-07年はレ・リラという5部(CFA2)のクラブに所属。その後、尊敬する松井大輔選手(現サンテチエンヌ)が当時所属していたル・マンの門戸も叩いてみたが、「リザーブ4部(CFA)から使ってもいいが22歳なので厳しい」と断られた。事実、フランスの育成は基本的に13歳にはじまり、18~22歳で終了する。この期間に才能を認められず、クラブが見つからないままピッチを後にする選手は数多い。そんな中、「この時期をサッカーに没頭できてすごく幸せ」とほほ笑む大塚選手は、この期間を「自分の成長の“第二段階”」と位置づけた。
さまざまな育成センターに滞在しながら育成を経験する中、大塚選手は、日本人選手なら誰もが戸惑う“フィジカルの洗礼”を受けた。「当たりの強さ、球際の強さなどは、日本で感じたことのない衝撃だった」と言わしめるほど、欧州やアフリカ系の選手とのフィジカルの違いは明らかだ。体重は渡仏してから7㌔増えたものの、「フィジカルはまだまだ未完成、あと2㌔は増やしたい」と自分を戒める。練習後の自主トレ、休日のジョギングなど、「自分の体と相談しながら」のフィジカル強化に加え、食生活管理を徹底する。「自炊のせいで体重を落としたくないので、かなり食のバランスに気を配っている」と話す大塚選手の得意料理は、野菜と肉をふんだんに使った栄養スープだ。
こうして毎日の生活にサッカーを結びつけるというクセは、“24時間サッカー選手”という、とある記事で読んだ中村俊輔選手の言葉に影響を受けたからだと話す。「どんなときも、何をしているときでも常に、サッカーに影響はないか、サッカーに結びつくかを考えながら生活している」。いい意味での“サッカー馬鹿”になる術をこうして身につけた。
「環境的に言うと日本の方がいいし、こっちの練習は楽」という自覚はある。そんな中で流されずに自分を慎むことができるのも、自分と同じようにサッカーで食べているチームメイトがあってこそだ。仲間たちとはピッチや生活をともにし、一緒に食事をしたり、「納得いかないことはとことん話し合う」フランス語を習得している大塚選手には、もはや文化や言葉の壁がないも同然だ。
そして迎えた10月5日(日)、フランスカップ第4回戦。
20年前にフィリップ・トルシエも指揮していたUSクレテイユ=リュシタシノ(ナショナル3部)と対戦し、大塚選手は、1-1で迎えた後半15分、左サイドの攻撃的MFとしてピッチに立った。デリケートな勝負時にインするほど、アラン・エムボマ監督(“浪速の黒豹”パトリック・エムボマの兄)の信頼を得ている。試合は3-1で勝利。にも関わらず、歓喜に沸くロッカールームで、大塚選手の気持ちは弾まなかったという。「自分の完成のイメージにはまだまだ程遠い」ことを身をもって感じたのか。彼の見つめる「成功」は、試合の「勝利」よりずっと先にあるようだ。
サッカーで給料をもらえるようになった。でもチームはアマチュアクラブ。「プロになる」という夢が半分だけ叶った、いわゆる“セミプロ”の状態だ。
でも周囲には、彼の才能を信じバックアップしてくれる人がいる。厳しいが言葉を飾らずに意見をくれる父。よき理解者の母。自分のベースである森監督。親友かつ恩人のニコラ。「僕が今、成し遂げたいと思っているサッカーの成功という道のりは、色々な人が影で動いてくれているおかげ」だから、その感謝の気持ちをプレーに表現したいと語る。
「僕が真のプロになったとき、『ジェ・レウッシ(オレが成功した!)』ではなく、『オン・ナ・レウッシ(みんなで成功した!)』と、がんばってくれたみんなのことを褒め合いたい」
日本のサッカー少年たちよ、大塚選手に続け。大志を抱け。(グルノーブル通信員=中尾 裕子)
■大塚省三(おおつか しょうぞう)
1986年2月12日生(22歳)
フランス4部(CFA)ヴィルモンブル・スポール(Villemomble Sports)所属
174㌢、63㌔
ポジション:MF左・右、トップ下、2トップFW
一瞬のスピードと決定的パス、ドリブル突破が持ち味の、左右両足利きのプレーヤー。
